アートも格闘技も人間の業の肯定。格闘技も立派な表現方法。

先日お休みを利用して横浜で開催中の『横浜トリエンナーレ2017』へ

トリエンナーレとは3年に1度開催される芸術祭。

ここ最近では横浜以外にも『あいちトリエンナーレ』『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭』など他にも日本全国で多数のトリエンナーレが開催されてます。

芸術って難しいもの?

まれに美術館に行った話をすると、

『なにがおもしろいの?』

『絵が分かるの?』

『高尚な場所で行きづらい』

と言われることが少なくありません。

普段足を運ばない人には確かに行きづらい場所ではあるかと思いますが、アートとはシンプルに言えば制作者の脳内妄想を吐き出しているだけだと思います。

それがたまたま絵画や彫刻、映像作品、写真などのアートという選択肢であっただけなのかと。

他にも選択肢がマンガ、小説、漫才、小売業、介護、農業、狩猟など職業として多数ある中からチョイスしたうちの1つであっただけなのかなと。

落語とは人間の業の肯定だと談志は言った

落語家、立川談志が何度も繰り返し口にしていた文言の1つ『落語とは人間の業の肯定だ』

業とは人間の性質・本質。人間にはあらゆる欲や本能があります。

独占欲や闘争本能…などなど。

皆がそれらを好き勝手に満たそうとすれば滅茶苦茶になります。

しかし完全に押さえ込む事もできません。

だから人間はルールを作り、ルール内で《業》を開放させることを認め合いました(=肯定)

結婚制度しかり、貯蓄しかり、格闘技やスポーツ、学歴もそうです。

例えばボクシング。
 人が人を殴って良いわけはありませんが《ルール内だから》と肯定します

そうやってあらゆる業をルールという共通項により認めたのです。

人間はそうやって業を満たさなければ、綺麗事や正論のみに忠実に生きて行く事ができないのです。

※上記yahoo japanサービスより引用

芸術も格闘技もあらゆる物事は人それぞれの価値観や行動、やりたいことなどの業の肯定であると言えます。

格闘技も表現としての選択肢の1つ

絵や写真などのアート作品は表現として分かりやすいですが、格闘技も立派な表現の1つだと思います。

出来なかった技が出来る様になった、ミドルキックが上手に蹴れる様になった、パンチでミットに強打を打てる様になった。

そんなことはないだろうと思うかもしれませんが、これら全てが新たな表現としての作法の1つではないかと。

上手にミドルキックを蹴れる姿を見ればミットを持つインストラクターが上達に感動をしたりします。

また他の会員さんも刺激になり自身のトレーニングにも熱が入ったりします。

このように他の第三者になんらかの刺激を与えてる時点で表現として素晴らしいですし、アートでもあると言えるのではないでしょうか。

今回の横浜トリエンナーレでは、ただただ力自慢が街中に展示がされている巨大彫刻を持ち上げる映像作品『重量級の歴史』なども立派なアートとして展開されてました。

まとめ

アートから落語に格闘技と話がいろいろと話がとっちらかりましたが、何かに打ち込むことそれ自体がアートとして昇華されると感じます。

人それぞれ格闘技をやる理由は様々です。

運動不足解消やダイエット、ただただキックボクシングや柔術が好きでやっている。

年齢的にしんどいし身体もなかなかついていかないなどあるかと思いますが、みなさん1人1人がキックボクシングや柔術を楽しむ姿は大きく言えば表現者であるのです。

格闘技を楽しむ表現者のサポートをルミナスでは今後も力を入れて応援していきたいと思います。

※今回アップしている写真は全て横浜トリエンナーレの展示作品。大変見応えのあるイベントでした。開催は11/5まで。

 

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