ブラジル発祥の格闘技である柔術。
元々は日本人柔道家である前田光世がブラジルにて教えた格闘技が独自の変化を経て、柔術という競技として形が作られました。
日本人が教えた格闘技が逆輸入されたってことですね。
そのブラジルで1996年から毎年ブラジリアン柔術の世界大会が行われていたのですが、2007年から開催地がアメリカへと変更。
それまでは階級もポルトガル語で命名されていたのですが、気付けば英語に変わり技の名前も英語のモノが増加していったと記憶しています。
世界大会がブラジルで行われていた当時は、多くの日本人柔術家がブラジルに渡り各ジムで練習をしたり世界大会に参加をしていました。
関連:ブラジリアン柔術ワールドマスターズ2017。ルミナスメンバー結果。
本場ブラジルで柔術をやりたくなる
多くの人はサンパウロかリオデジャネイロに渡り、各ジムにて自身の技術向上を目的に練習に汗を流す日々。
そんな話を聞いていた私、シタバヤシもいつかはブラジルに行って練習をしてみたいなと学生の当時ボンヤリと思っていました。
当時は奨学金とアルバイトで生活をしていたのですが、卒業後にブラジルで練習をするためにコツコツと貯金を開始。
卒業時には往復航空券、ビザ、半年間のブラジルでの生活費を貯めることに成功する。
大学を卒業後にブラジルへ
卒業後は八王子の家を引き払い、地元である京都に戻る。
そして元々格闘技を始めたピュアブレッド京都にて練習。
※今はピュアブレッド京都は残念ながら閉館
その後2006年6月にピュアブレッドに在籍していた方と一緒にブラジルへフライトをする事に。
アメリカ経由で20時間近い旅路。
空港に到着して乗ったタクシーはとんでもないスピードで街中をぶっとばすなどあまりのスケール感の違いと初の海外でビビりまくる。
そしてサンパウロの中心部に到着。
そこから半年間、波乱のブラジルでの生活が始まるのでした。
※今後も不定期にブラジルでの生活の話を更新します。
ブラジルでの貧困街であるファベーラ。
降り立った空港であるグアルーリョス空港の近くで見たのが初めてのファベーラだった。
続き:ブラジリアン柔術の本場ブラジルに行ったおはなし。日本人街リベルダージ。
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